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投稿者:ろっきい

観光情報・交通旅行情報掲示板寺院の屋根飾り

2017-12-30
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ワット・ビスンナラート。最上部のナーガは塗り直してまだ調和しない。

ワット・ビスンナラート。最上部のナーガは塗り直してまだ調和しない。 写真登録日:2017-12-30

一段下がった棟飾りと相対しているのが面白い。

一段下がった棟飾りと相対しているのが面白い。 写真登録日:2017-12-30

市街の古刹ワット・アハームの屋根。

市街の古刹ワット・アハームの屋根。 写真登録日:2017-12-30

ランサーン様式で最も美しい寺院の一つ、ワット・マイ。

ランサーン様式で最も美しい寺院の一つ、ワット・マイ。 写真登録日:2017-12-30

ラオスのルアンパバーンの古寺の屋根飾り。
寺院によってそれぞれ違いがあり、そこに注目すれば興趣を感じます。
伝統的な造形の美しさがあります。 
コメント(全5件)

タンギュイ

2018-01-03
ろっきい様
ワット・アハームの屋根の真ん中の飾りは屋根飾りとしてはちょっと珍しいですね。でも屋根飾りでない仏具系としては、こういうイメージので、小さいミラーのモザイク集合体きらきら光りもの系の仏具を二種類持っています。

ワット・ビスンナラートの三頭ナーガ屋根飾りも珍しいですね。バンコクの寺院、ラッタナコシン王朝系寺院の屋根飾りは、もちょっとシンプリファイズしたのが圧倒的に多いですのでね。

屋根飾りは、我々は屋根にすでについているものを見るのが大半です。結果的に遠くから見ているだけなので、その大きさに圧倒されることはないですね。

しかし、取り付ける前の屋根飾りや取り外して並べてあるのを1.2メートルの至近距離で見ると、そのボリウム、でかさに圧倒されますね。
 

ろっきい

2018-01-03
>>タンギュイさん、コメントありがとうございます。

興趣を感じられたら、いつか機会を見ていらっしゃってください。
タンギュイさんとタイミングが合えば、いくらかご案内できると思います。
 

タンギュイ

2018-03-03
ろっきい様

バンコクが行先の中心なので、近々ルアンパバーンに行く予定はないのですが、タイ北部→バンコクの仏教美術等の由緒、伝統を垣間見ると、ビエンチャン外のルアンパバーン等の遺跡、由緒は、少なくともタイ北部と文化圏が同じみたいなので大いに興味があります。

ルアンパバーン近辺の精霊信仰にまつわる由緒、遺跡、形跡等があったら是非アップしてください。

そして、本件ランサーン仏教美術もぜひ。タイ北部→バンコクに大いに影響してきたルーツとも思うので。
 

ろっきい

2018-03-11
>>タンギュイさん、その通りで北タイとルアンパバーンは共通性をたくさん感じます。
そして東北タイ(イサーン)はビエンチャンやチャンパーサックなどラオス中部南部と共通する文化圏です。

ラオスはラオス内でやはり共通性が多いので、北タイ、ラオス、東北タイとメコン川を下る交通と共に文化の流れがあったのでしょう。
日本海の北前船のように交通があれば、人も文化も交流します。
近代的な国境ができたのは、19世紀末(日本では明治時代)のフランスのインドシナ侵略以降でしょうから。

精霊信仰は古くからあるのでしょうが、遺跡遺構として残るようなものでなく、新しい祠などから推察するしかないかもしれません。

ピマーイのサイ・ンガームなどはすごいパワースポットですね。
 

タンギュイ

2018-03-13
ろっきい様
北タイで見たものとろっきい様のルアンパバーン情報を足し算して、タイ近辺の歴史と総合すると、共通点がいくつも見つかるので驚いています。

イサーン、ビエンチャン、ラオス中部南部は、時の為政者や地理的関係で国境という線がいろいろひかれた可能性はゼロでありませんが、まさにおっしゃる 近代的な国境19世紀末のフランスのインドシナ侵略うんぬん以来の話で、遺跡の時代からみんな一つの文化圏だったからなのでしょうね。

精霊信仰は、その遺跡の時代からみんな一つの文化圏の歴史の中でも、初期の話なので、ご多分に漏れず、石刻以外の記録は、朽ちてしまう世界ですから、形跡をたどるのは、私が国立博物館に行ったくらいでは難しいかもしれませんね。