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投稿者:ろっきい

観光情報・交通旅行情報掲示板ラオスの手織物の村へ

2016-10-23
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手織物は今では貴重な存在です。

手織物は今では貴重な存在です。 写真登録日:2016-10-23

長さをそろえて杼に巻き取る。

長さをそろえて杼に巻き取る。 写真登録日:2016-10-23

藍染の木綿糸を巻き付け。

藍染の木綿糸を巻き付け。 写真登録日:2016-10-23

綿花から糸を紡いで、染色、糸を整えて織機に掛けるまで大変な工程がある。

綿花から糸を紡いで、染色、糸を整えて織機に掛けるまで大変な工程がある。 写真登録日:2016-10-23

トウモロコシを干す。

トウモロコシを干す。 写真登録日:2016-10-23

運転手さんの家でも軒先で木綿の織物を織っていた。

運転手さんの家でも軒先で木綿の織物を織っていた。 写真登録日:2016-10-23

ルアンパバーン県の北部、山間のバーンナーヤン村へ。タイルー族の伝統的な暮らしが残る土地です。
行くまでが大変なんですけどね。暑くても歩くのはそんなに苦ではないのですが、未舗装の道は車が通るたびに砂塵を巻き上げます。2月の乾季のような感じでした。途中で嫌になって、自宅へ帰るロットトゥーの運転手さんに同乗させてもらいました。
ナーヤンでは大抵の家で機を織っています。高床の家の下に機を置くのが伝統的なやり方ですが、最近は屋内で織るのも多くなったようです。 
コメント(全5件)

タンギュイ

2016-10-23
ろっきい様
私が最初にこの系統の織物に興味を持ったのは、スコータイの帰りか、チェンマイの帰りに、もちょっと北に行き、ばらまきおみやげにこの織物関連のペンケース、筆箱をいっぱい調達したあたりだったと思います。

ラ―ンナー王朝時代のパーシンがこれらの織物のルーツと聞いていました。これが、ラオスに伝わって、人とか動物とかの、とちょっと具象的で、ちょっと象徴的な模様が入るようになったと聞いています。今売っているもののルーツがどこかは知りませんが。

ラ―ンナー王朝時代の女性たちは上半身裸で、首にパーシンを巻いていたのは、国王級寺院のワット・プラシンとかの本堂系壁画に綺麗に描かれているとおりです。

一年くらい前に、ビッグCで、今まで全然なかったのに、この系統のトートバッグを急に売り始めたのを見かけて、調達したのですが、書類を入れて持っていたら、霞が関と静岡と宇都宮で、いいですね、とか、いいの持っていますね、とか言われました。色とかが、一つのスーツとたまたまコーディネートしていたためかもしれません。
 

ろっきい

2016-10-23
>>タンギュイさん、さっそくコメントありがとうございます。
木綿の手織物は独特の風合いがあってとても良いものです。
伝統的な機織りの村は見て回るだけでも楽しく思います。

ルアンパバーンの近くではラーオ族、タイルー族の絹織物が多くなります。
絹織物、シンマイと言いますが、絹の巻スカートも良質の絹を使ってきっちり織れているものは軽くて光沢があり、デザインも優美ですね。

肩から上半身に掛ける織物は、ラオスではパービヤンと呼んでいます。
伝統的な文様は、織りが複雑で手の込んだものです。 

タンギュイ

2016-10-24
ろっきい様
独特の風合いの中、元祖?ラ―ンナー王朝ルーツ系のは、結構シンプル系な幾何学模様ですね。

そのシンプル系な幾何学模様が、間隔とかすごく精緻なんですよね。

ラーオ族、タイルー族のは、たぶん元祖?はラ―ンナー王朝ルーツ系なんでしょうが、バラエティ、ちょっと自由さを追求していますね。これり延長が私のトートバッグ、現代に継承されたのかなと、思っています。

でも、首に巻いて、高貴な女性が上半身裸だったという壁画、そういう風習、いいですね。

織りが複雑で手の込んだ伝統的な文様・・・あれって、やっぱりなかなかいいもんですね。いいから、風雪を耐えてのこって伝統につながったと思います。
 

ろっきい

2016-10-24
手織物の技術が残る八丈島や南西諸島の織子に見ていただければ、具体的に技術の説明がいただけるかもしれませんが、わたしは見るほうばかりで説明が十分できないのが残念です。 

タンギュイ

2016-10-28
ろっきい様
縄文時代か、弥生時代か、その境界領域時代かわかりませんが、南西諸島に稲作の伝来とともに、手織物の技術が伝来、発展していたんでしょうね。

日本が近代化したなぞより、桁違いに長い歴史が、手織物にはありますね。