ガラヤニーワタナー王女の国葬

プミポン国王の姉君にあたる、ガラヤニーワタナー王女の国葬の儀をレポート。

サワッディーカー!バンコクナビです。
プミポン国王の実のお姉さまにあたるガラヤニーワタナー王女がお亡くなりになって約1年、国葬の儀が11月14-19日に渡って執り行われました。その模様をリポートします。

ガラヤニーワタナー王女紹介

正式なお名前は「ソムデットプラジャーオ・ピーナーンター・ジャオファー・ガラヤニーワッタナー・グロムナラティーワート・ナーチャナカリン王女」、タイ国民の間では「プラ・ピナーン」という愛称で、お亡くなりになった今も親しまれています。
仏暦2466年(西暦1924年)5月6日にロンドンでお生まれになったガラヤニーワタナー王女は、西暦2008年の1月2日にガンの治療のために入院されていた病院で永眠されました。享年は84歳でした。
社会貢献に篤いことで有名なタイ王家ですが、ガラヤニーワタナー王女は特に地方への医療普及に力を注がれ、有志の医師を募っては自らも同行して過疎地で貧しい人々のために尽力されたという逸話が残っています。

11月14日 本葬前日

11月14日から16日の3日間は、タイ国民は喪服または黒い服を身につけるのが好ましいとされ、道行く人はみな黒ずくめの格好の人ばかりでした。
葬儀が行われる王宮広場には、多くの参列者が集まりました。10万人の人が集まったとも言われています。お年寄りの姿が目立ったので、心配するやら感心するやら。地方から車をチャーターしてやってくる人たちもいます。それもこれも、愛国心がなせる業。
会場近くでは、ガラヤニーワタナー王女のお写真やペンダントトップなど、女王を偲ぶためのものが色々と売られていました。
ガラヤニーワタナー王女の国葬 ガラヤニーワタナー王女の国葬 お悔やみグッズのひとつ、王女さまのお好きな色である水色のリストバンド

お悔やみグッズのひとつ、王女さまのお好きな色である水色のリストバンド

葬儀用に建設された建物です。この建物の建築費用も含め、葬儀にかけられた総額は3億バーツ(約8.16億円)はくだらないのだとか。
翌日の本葬にさきがけ、軍隊のパレードが行われました。
夜には電飾がなされ、幻想的な雰囲気に包まれました。なんとか綺麗なショットをカメラにおさめようと、一段高い報道陣席にいる記者にカメラを渡して代行撮影を頼む人も。記者さんも気軽にカメラを受け取って写してあげていました。
明日に備えてゴザを広げて眠りにつく人々。お疲れの人々目当てに、簡易タイマッサージ屋さんも出現していました。

11月15日 本葬当日

葬儀の儀は、一般人立ち入り禁止の中でしめやかに執り行われました。夜になって王宮前広場に行ってみると沢山の人が献花をしていました。ガラヤニー王女のお写真の前で哀悼の意を伝える機会である献花は、一般国民にとってはメインイベントなのです。
献花でお盆が一杯になると、係員が現れ、中身を白い布に包んでお盆を空けて、王女のお写真に向かって一礼。

一般公開

本葬が行われた建物が、 11月30日まで一般公開されます。
一目見ようと長蛇の列が。40人1グループで3分間、と見学時間が決められたそうです。
一般タイ人はもちろん、外国人、先生に引率された幼稚園児から小・中学生、課題として見学にやってきた高校生・大学生、はたまた軍人さんまで、みなが思い思いに記念撮影。

一般者は立ち入り禁止だった儀式の様子を写した写真が展示されています。荼毘にふされたガラヤニーワタナー王女は、仏教界の神々のもとに召されて新たな地位を授けられるのだそう。女王さまの甥にあたるワチラロンコン皇太子が拾われているのが王女の御骨。人間の形に整えられています。

バンコクナビ一同、ガラヤニーワタナー王女殿下のご冥福を心よりお祈りいたします。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2008-11-27

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