ナビ編のタイ南部津波後レポート(パンガー編)

津波後の生活はどうなっているのでしょう?ナビ編@BKKが被災者の「今」をレポートします。

こんにちは、バンコクナビ編@特別取 材班(約1名)です。
12月26日にアジア近現代史上最大級の津波に襲われたパンガー、 プーケットでしたが、その後はどうなったのでしょうか、、。プーケット編に引 き続き、津波で被災した人たちの復興と生活のお話を聞き、また直接拝見するた めにパンガーに行ってきました。
バン コクからAir Asia FD3014便でプーケットに出発。ローコストエア ラインということでしたが、機内食がでないので、いつごはんがでるのかな?ごは んを食べてから寝よう、などど考えずにすみ、逆に機内でゆっくりできてよかっ たです。帰りの便もバンコクのAir Asiaのカウンターで購入しましたが、スーパ ーのレシートのようなものだけが唯一の切符を買った証拠です(笑)。
予定(15:55)よりちょっと遅れて16:10 に出発。
一時間半でプーケットの国際空港に到着。意 外に大きな空港でびっくり。
外ではドライバーさんが待っているはずですが、なかなか出会えません。あ ~まったく!でもこういうことはタイでは度々ありますので・・・。
ようやくドライバーさんと出会えた一行は、 今回同行させて頂いた大学の先生と、パンガーの津波被災者の生活の場をたずねました。
被害のあった村の一つ、パンガー県の北クラ ブリー郡まで向かい、最初の一泊。簡単なバンガローでしたが、宿泊代は500Bで タイの田舎にしてはお高め?
早速NGOの活動家の方に来ていただいて、お話を聞きました。寄付の 古着が集まりすぎて現場の負担になったとのこと。ユネスコが贈った発電機は高 級すぎて、扱いづらく、燃料が買えないことなど、いくつかの支援について考え させられる内容を含んでいました。やはり情報がいきわたらなかったんですね。

一夜明けて、近くの市場にはイスラム教の人 たちがけっこういて魚などの食料、雑貨を売っていました。
朝食は肉まんとタイ風「ちまき」でした。本当 は先生もタイのあげパン”パットゥンコー”が食べたくて探し回ったのですが 、タイの朝は早いので、ナビ編チームが言った8時には「売り切れ」。残念!
パンガー県、クラブリーの津波被災者の仮設住宅です。政府は順次、定住用の恒久住宅を建てていますが、数が足りないのと漁民だった人たちは元の海の近くの自分の家に戻りたいということで、村人はまだそうとう仮設住宅に残っています。
キャンプにはアウンと呼ばれて いる網がたくさんありました。
人々は魚網の補修、製作などで生計を立てています。漁師ですから本 当は漁に出たいといっていましたが、漁具が合っても舟が被害にあって使えなかったりと、まだ漁に出られる状態ではないようです。
同じ仮設住宅の中でも、お隣のグループはいろいろ支援をしてもらっ ていたり、と配分に不公平感が生じているようです。住民のリーダーは、 お互いに話をしないと言っていました。
シージプシー(Sea Gypsy) と呼ばれている人々 と会いました。
なんとこのシージプシーの村からは一人も津波被害者がでなかったそ うです。なんでも海水が引いたら、急いで逃げろという昔からの言い伝えを守っ たそうです。今は船が壊れたりして漁に出られないので、ハンドクラフトの舟を 作って売っているようですね。
このキャンプで住民たちを支援しているNGO の職員にも話を聞きました。村の議員や役所の職員はあまり実態をわかっていな いと言っています。外国から物品の寄付をしたいという人がたくさん来るのです が、皆住民に直接渡したがっていて、このことが配分に不公平が生じて村人の間 に新たな問題を生んでいるようです。
このNGOのセンターでは、住民にハンドクラフトを作らせる職業訓練も していました。

一番大きな被害のあった、ナムケム村の様子です 。このナムケム村は一躍世界的に有名になってしまい、国内外から支援物資、基 金が集まりましたが、やはりここでも支援物資、援助資金配分をめぐって若干の トラブルがあるようです。
住民には新定住用住宅が支給され始めていますが、まだ場所や割り当 てられた住宅の大きさをめぐって、不満があるようです。住宅を寄付する団体に よって、住宅の質、大きさ家具の有無などがぜんぜん違うからです。
特にある団体が建てた住宅は2階建てなのですが、 上の住居部分はとても狭く、トイレも1Fにしかなく、子供がいる家族で使うには とても不便で評判が悪いようです。
慈善団体が建てた定住者用住宅で雑貨屋さんを 営んでいるご夫婦に話をうかがいました。
このご夫婦は、津波が襲ってくるという知らせに、あわててバイク で逃げましたが、間に合わず波に呑まれそうになって、バイクごと転げ、気がついたら助か っていたそうです。家族がばらばらにならなかったことが幸いですね。
まだ持ち主がわからない車のナンバーが並べてあり ました。
仮設住宅のキャンプでは、自動販売機によって、無 料で飲み水が提供されていました。
88年にミス・ユニバースに輝いたポーンティッ プさんから寄贈したEngel Houseという住宅が一番豪華だというので見にいってき ました。家具付きという話でしたが、住んでいる住人は家具はついてなかった、と言っ ていました。実体より、話だけが先に進んでいるような気がしますね。その後ろ のインスィーセメント社が建てた住宅はまだ入居が始まっていませんが、家の中 は家具付きでした。
インスィー社提供の 住宅 インスィー社提供の 住宅 インスィー社提供の 住宅

インスィー社提供の 住宅

今現在も津波不明者 を探す張り紙を見かけました。

たくさんの外国人観光客が被害にあった「カオ ・ラック」に一番近いターイムアン病院。この小さな病院に780人のけが人が担ぎこまれました。けれども、ここの病院でなくなった方はほとんどいなかったそうです。
夕方には地元のお年寄りが集まって体操をしていました。町には日常 の生活が戻っていました。

イスラム系住民の村であるナイライ村キャンプに も行ってきました。この村の結束は固く、配分された高価な救援物資は住民間で 新たな問題の火種なる、と受け取りを拒否したそうです。他のキャンプではすべ て物資は抽選やくじ引きで決めていましたが、ここではくじは一切使わず、話し 合いで配分を決めたり、全員に配布する努力をしたり、住宅もコミュニティーの 皆で助け合って建てたそうです。ごりっぱです。
また、現在政府、民間などの資金援助を得て漁 船を修理、建造しています。舟が直らないことには日々の生活が成り立ちません 。
村では魚の養殖もやっており、仕事が無いという状 況は脱出できているようです。集会所には寄贈品のテレビも。
各避難民サイトを見てみると、やはり住民同士 の結束が固いところほど、分配の問題は生じにくいようです。また、村長・資本家など地元の実力者の影響が強くそういう人に頼らなければならないコミュニテ ィーほど分配に不公平感が生じていると思いましたね。
プーケット・パンガーのみなさん、長い時間を 割いて、お話をしていただいて、本当にありがとうございます。これからも今後 の経過をみつめていきたいと思います。また必ず来ます!それまでみなさんお元 気で・・・。―ナビ編「
ナビ編のタイ南部津波後レポート も共にお楽しみ ください。

謝辞:
今回の取材は東京大学大学院新領域創成科学研究科の佐藤 仁先生の調査に同行させていただいたものです。この場をお借りしてお礼を申し 上げます。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2005-09-30

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