在タイ歴の長いナビには、もはや感じえない新鮮な感覚を新人リポーターが激白!? 第2回
難解なタイ文字 「文字」それとも「図形」?
タイの文字はとても難解ではないでしょうか。外国人にとっての日本語(漢字・平仮名・片仮名)と、どちらがより難しいのでしょう? タイ語の文字は、デザイン・絵とすら思えるほどです。
バンコクでは町中に美味しいお店などたくさんあるので、ローカルのマーケットなどを色々回ってみたいと思うのですが、如何せん言葉の壁が……。
文字だけでなく会話もまだまだなので、今のところ残念ながら屋台などで料理を注文するような場合は、目に見えて並んでいるものを指さしでしかできません。
「あの文字が読めるようになれば、もっと世界が広がるのにな」と思う、今日この頃です。
女性は働き者、男性は怠け者?
「タイでは女性の社会進出が進んでいる」と、ある本で読んだことがあります。バンコクのとある大学の教授の男女比率は、女性が半分以上で約6割だとか。
そう言われて周りを見てみると、皆がみな、そうではないですが、女性の方がテキパキ働いていて、男性は口は達者だけどその実はダラけた感じの人が多いようにも見受けられます。
これもまたある人の見解です。その人は現在シンガポールに住んでいて、バンコク在住経験もあるという人なのですが、「シンガポールにせよバンコクにせよ、女性が外で活躍できるのは、家庭にメイドさんがいたり、食事はあまり家で作らない習慣があったりするため。つまり、非常に職業的分業が進んでいて、日本のような平等を主旨とする国では表向きには認められにくいような階層構造が社会に浸透しているからではないか」と。確かに日本の女性のように家庭でも職場でもバリバリ働く人は少ない気もします。
「微笑みの国 タイ」の真相?
プライベートでも仕事でもさほど複雑な関係でタイの人と関わっていないせいもあるかもしれませんが、タイの人は愛想がよく人懐っこいと感じます。
とりわけ、ローカルなエリアでは言葉は通じなくても、こちらも同じく笑顔で「サワディーカップ」とあいさつすれば、それ以上の笑顔が返ってきます。
何か嫌なことがあっても、あの触れ合いで全てを水に流してリセットできるようで、純粋に癒されます。
ただ、こう言っていいのかどうか。某英語学校にて感じたのですが、英語が通じるクラスのタイ人になっていけばいくほど、少し無愛想さとか嫌味さが出てくるようです。
仏教と信仰心
タイは仏教徒の多い国なので、到る所にお寺があります。大乗仏教の考え方では「現世で徳を積む≒他人に施し等をするほど、輪廻転生して来世では更によい地位を得られる」と曖昧に記憶しています。
今年2月、マカブーチャ(?)という仏教の祝日にバンコク郊外に出掛けた際のことです。ハイウェイ沿いに、まだ建築中ですがかなりの規模のお寺があり、多数の参拝客で賑わっていました。話によると、ある有名人が寄進をして建築されているのだとか。気前が良いというのか寛大というのか、感服です。
袈裟を身に纏った僧侶の托鉢する姿とそれに寄進する市井の人々の姿はお馴染みの光景です。
寄進をする人が僧侶を呼び止め、食べ物や飲み物、お花などを供え、深々と祈りを捧げる。そんな風景が日々、町のあちこちで見られます。また、朝の屋台にはお供え用の花や線香、食べ物などをセットにした品物も販売されており、これはこれで一つの経済活動として成立しているようで不思議な気分です。
また、知人の20歳くらいの若いタイ人が、出家に行ってくるということで1週間だったか2週間だったか、しばらく姿が見えないことがありました。各家庭や家柄で程度の差はあるのでしょうが、タイ人の生活の中には仏教の教えや習慣が深く根付いているように感じます。
[編集部注]マカブチャー…万仏節。陰暦3月の満月の夜に、釈迦のもとに弟子1250人が偶然集まった奇跡を祝う祝日。
世代を問わない信仰の姿に感心!
お寺や僧侶への尊敬や信仰心とは別に、各家庭の庭先や、ビル、会社などの敷地の一角には必ずと言っていいほど祠があり、きれいに整えられ、お供え物などなされています。これはお寺とはちょっと異なり、日本人にとっての「八百万の神」というのか精霊というのか、日常自分の身の回りに存在しているちょっとした「目に見えない世界」に対して敬意を示しているようだと私は解釈しています。
実際にその祠の近辺を歩いていると、向こうから来た通りがかり若い女の子がちょっと立ち止まって手を合わせていたり。「こんな普通の若い子まで!」と、ちょっと感心・感動したりします。
日本人である私の場合、実家は日蓮宗だったと記憶しているのですが、毎日欠かさず御本尊に拝むわけでもなく、お彼岸などにお墓参りをする程度。さらには失礼ながら、宗教的な事柄に対してなんとなく胡散臭さすら感じたりもしているのが本音です。
タイの人たちの熱心で真摯な「信仰」の姿を見ていると、日本人として思想や信教の自由は保障されているとはいえ、果たしてこれでいいのか? 改善の余地ありなのか? と自問自答することもしばしばです。
次回へ続く。
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記事登録日:2009-06-29